タイトル | 私たちは歌で語る |
---|---|
監督 | ドニ・プトロ・ヘルワント |
撮影・編集 | アブル・アラ・マウドゥディ・イルハムダ |
制作国 | インドネシア |
制作年 | 2018 |
VDP上映年 | 2019 -ジャスティス- |
上映分数 | 24min |
使用言語 | インドネシア語 |
字幕 | 英語/日本語 |
タグ | トラウマ, 反共産主義, 合唱, 差別, 政治犯, 歌, 記憶 |
作品紹介
ある出来事を巡る真実を次の世代に伝える手段にはいろいろなものがある。歌を通して伝えることはその一つだ。ディアリタ合唱団は、1965年に自分たちが経験した出来事の真実を歌にする道を選んだ。その歌詞は、両親・友人や自然の美しさ、そして祖国への愛を謳いながらも、この歴史的な出来事の暗い側面を理解するための別の見方を提供する。また、歌うことは真実を伝えるだけでなく、この53年間に彼女たちが受けてきた汚名と差別による傷を癒す手段でもある。
ドニ・プトロ・ヘルワント (Dony Putro Herwanto)
監督
1983年東ジャワ州ガウィ生まれ。2021年までDAAI TVでドキュメンタリープログラム担当のジャーナリストとして働き、現在はTV Tempo (Tempo Media Group)のプロデューサー。制作したドキュメンタリー作品がインドネシアのドキュメンタリー映画祭に入選し、アルジャジーラ国際ドキュメンタリー映画祭2015、クアラルンプール・エコ映画祭2019、マカオのサウンド&イメージチャレンジ映画祭2019などの海外の映画祭で最終選考に選出された。妻子とともに西ジャワ州ボゴールで暮らしている。
アブル・アラ・マウドゥディ・イルハムダ (Abul Ala Maududi Ilhamda)
撮影・編集
ジャカルタ生まれ、現在もジャカルタ在住。大学で放送学を専攻。写真への興味がきっかけでテレビ局のドキュメンタリーのカメラマンになり、映像作家としても活動中。インドネシア国内の映画祭でいくつかの作品が入選した。
監督へのインタビュー
このドキュメンタリーを制作した理由は?
どのようないきさつからこのテーマに取り組むこととなりましたか?
インドネシアで起きた1965年の大虐殺の生存者のために発言の場を提供したかったためです。過去の傷口を開くためではなく、生存者が経験した暗い歴史を、獄中でつづられた歌を通じて示すためです。
審査員コメント
ホー・ユーハン
映画監督
歌を通じた癒しというアイデアはドキュメンタリーには斬新なテーマで、かなり変わったものです。この感動作は、過酷な悲劇を生き抜いた女性たちの姿を描き、歌という形をした彼女たちの癒しのプロセスに加わる事を私たちに促します。監督は彼女たちが苦しんだ暴力的な歴史を見せる代わりに、彼女たちが現在を生きる姿を見せる事を選びました。自分たちの事をありありと歌うことで、全ては生きていく中で再び耐えられるものとなります。暗い過去にひたっているよりも、前に進んで行く事の方がずっと現実的です。災いを生き延びた人たちもおそらくそれに同意する事でしょう。私はこれを監督の道徳的な選択だと解釈します。
関連作品
-
物言うポテト
「ポテト」という名の、障がいを持つカレン族の若い女性の物語。彼女は近所に住む既婚者にレイプされた。男は訴えられたが、婚外の性的関係を持った誘惑事件してうやむやにされた。しかし、固い意思を持つポテトと家族は、長い間口をつぐんで苦しんできた女性たちとこの事件を共有するため、真実と正義を求めて立ち上がった。- 国
- ミャンマー
- 監督
- セインリャントゥン
- 時間
- 22min
-
黄昏の郷愁
このドキュメンタリーは、ガンバン ・ クロモンの演奏者であるゴーヨン氏が、自らの過去の栄光について思い起こす姿を繊細に描写している。一人の男性が音楽の保存のために一生を捧げた様子を取リ上げることで、現 代インドネシアが抱える伝統芸能存続の難しさを浮き彫りにする。- 国
- インドネシア
- 監督
- ファジラ・アナンディヤ
- 時間
- 23min
-
ラップタイ
この作品は、ラップ・カルチャーが現代タイ社会にどのように定着し影響を与えてきたかを紹介する。タイ文化とラップ音楽固有の伝統のシナジー(相乗効果)に焦点を当てた本作は、12人のタイ人ラッパーの物語を取り上げ、彼らが人生経験を通じて様々なスタイルで表現する独自の様子を紹介する。- 国
- タイ
- 監督
- チラカーン・サクニー、ウィチャユット・ポンプラサート、サルン・コーシットスックチャルーン
- 時間
- 25min
山本 博之
京都大学東南アジア地域研究研究所准教授 マレーシア地域研究、メディア研究
社会発展を目指す運動に参加したものの、ある日を境に国家反逆の罪に問われて投獄された若い女性たちの半世紀。自分がよき母になれなかったという思いと、そのために自分の母をよき母にできなかったという思いが歌に込められる。