笑いごとじゃない

No Laughing Matter

タイトル笑いごとじゃない
監督ペーマウンサメ
プロデューサーリンスンウー
撮影監督ペーマウンサメ
編集ゾーウィントェ
制作国ミャンマー
制作年2020
VDP上映年2023 -笑!-
上映分数31分
使用言語ビルマ語
字幕英語/日本語

作品紹介

著名な政治風刺漫画家ウー・ペーテインの深い洞察力を映し出す本作品は、風刺という芸術を通して人々の心を揺さぶる。1996年に録音されたまま眠っていた一連の音声テープを使い、ミャンマーの激動する政治情勢と風刺の歴史を掘り下げる。この作品は社会を映す鏡としての報道の自由と政治風刺漫画の意義を表明するものでもある。

ペーマウンサメ

監督

ミャンマー映画業界で20年以上のキャリアを持つインディペンデント・ドキュメンタリー映画監督。彼の最も有名な作品のひとつで、ミャンマーで起きた最大級の自然災害の後の生と死の共存を叙情的に描いた『Nargis – when time stopped breathing』は、20以上の国際映画祭で上映された。2013年にはイラワジ川および川に依存する人々が直面する脅威に焦点を当てた『The River, Our Ayeyarwaddy』をティザと共同で監督した。また、さまざまな国際NGOや現地NGOと協力してミャンマーの若手映画作家の育成に力を注いでいる。現在は、自身の映画制作のかたわら、さまざまなコミュニティーの学生の指導や報道機関への番組コンサルティングも行っている。

リンスンウー

プロデューサー

ミャンマーを拠点とするインディペンデント映画制作会社ターグー・フィルムズの共同設立者。制作した短編ドキュメンタリー映画の複数に受賞歴があり、人権と人間の尊厳の国際映画祭2015で最優秀ドキュメンタリーに与えられるアウンサンスーチー賞を受賞した『This Land is Our Land』は代表作である。短編映画制作の第一作は『Acceptance』で、2019年の第9回ワタン映画祭で観客賞と最優秀女優賞を受賞した。2020年には本作品を制作し、第10回ワタン映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞を受賞した。2021年の長編映画『The Mist of Maya』はロカルノ国際映画祭オープン・ドアに入選した。現在、初の長編ドキュメンタリー作品『The Birdwatcher』の制作に着手している。リンスンウーは映像作品制作のほか、ミャンマーの少数民族に対して初心者向けの映画制作のワークショップなどを手がけている。

ゾーウィントェ

編集

ヤンゴンを拠点に活動するベテランの映画・ドキュメンタリー編集者。ミャンマーの商業映画界で9年間映像編集者として働いた後、2009年にドキュメンタリー映画とインディペンデント映画に制作の重点を移した。ミャンマーで最もよく知られたインディペンデント映画のひとつである『The Monk』(2014年)の編集を担当。彼が編集したドキュメンタリーは様々な賞を受賞し、多くの国際映画祭で上映された。現在も編集者として活躍するかたわら、ドキュメンタリーやインディペンデント映画の編集指導に携わっている。

制作チームへのインタビュー

このドキュメンタリーを制作した理由は?
どのようないきさつからこのテーマに取り組むこととなりましたか?

本作品は、1996年に録音された後に紛失したと思われていた音声記録を録音者の息子である監督が発見したことによって2020年に制作されました。ミャンマーでは植民地支配後の政治史は常に謎に包まれており、ミャンマー国民は過去から教訓や和解を得ることがあまりありませんでした。幸いなことに、植民地時代から1990年代の軍事政権時代に至るまでの報道の自由や政治風刺漫画の様子を垣間見ることができる音声記録を見つけることができました。歴史は繰り返すと言われます。残念なことに、この映画で扱われている問題の多くは、今日でも私たちが直面する社会的かつ政治的な重要課題として残されています。

審査員コメント

速水 洋子

京都大学東南アジア地域研究研究所教授 文化人類学 

2020年制作、つまりミャンマーの2021年軍事クーデターよりも前の作品です。時代を通じて社会と政治の関係を描いてきた漫画ジャーナリズムの笑いの力が、カセットテープの音声で流れる漫画家(「本人」の父)の講演の声とその途中で起きる聴衆の笑いとともにひしひしと伝わります。このカセットテープが作品の力の源になっています。映像と音声の豊かさ、歴史や背景、漫画を描くこと自体の政治性と、それを笑いで表現することによる力を濃密に描けていて、現在のミャンマーの市民の顔を想起させる映像です。

セインリャントゥン

映画作家、プロデューサー

本作品はミャンマーの伝説的な漫画家であるウー・ペーテインの素晴らしい作品をアーカイブしている。監督の父親が残した漫画やアート作品の画像に貴重で魅力的な漫画家本人の肉声を重ね、イギリスの植民地支配から現代までのミャンマーの政治状況を風刺している。作中に登場する漫画のセリフは全て翻訳されているわけではないものの、風刺という普遍的言語がそれぞれの時代の政治や社会の力学を嘲笑する様は力強い。このドキュメンタリーは伝説的な風刺漫画家の記録として他に類を見ない。また、東南アジアの漫画家たちがそれぞれの国の政治状況や社会をどのように描いてきたのかについての興味をかき立てる。観るものを惹きつける漫画を使い、よく編集されている。漫画の中のセリフも全て翻訳されるとよいのにと思った。

専門家による解説

土佐 桂子

東京外国語大学 アジア・アフリカ言語文化研究所 フェロー (名誉教授) 

本作品は、当代きっての漫画家ペーテイン氏が残した音声を基に、風刺漫画の系譜を、そのつど、関連する漫画をふんだんに映し出しつつ、丁寧に撮られたものである。ペーテイン氏の絶妙な語り口、間合い、呼応する聴衆の笑い声が、講演会の臨場感を生き生きと伝えてくれる。

本作品でも語られるように、風刺漫画は英領時代に始まり、初期の執筆者は英国人だった。その後英国人らが1918年にビルマ芸術倶楽部(Burma Art Club)を開設し、そこでデッサンなどを学んだバガレー、バジャンらが育ち、本作品の漫画家ペーテインに繋がっていった。ちなみにバジャンはミャンマー漫画の始祖ともいわれ、英国風ブラックユーモアを受け継ぎつつ、子供向け漫画やミャンマー最初のアニメも作った。また、本作品のなかで、読者が初めて漫画というものに出会い、その読み方を覚えていくプロセスが語られているのも興味深い。そうやって、漫画家は読者とともに成長してきたともいえる。

バジャンはダザウンダイン灯祭り(11月頃)に、当時居住していたヤンゴン13番街で漫画の展示を毎年行ってきた。それは彼の死後も1997年まで続けられたという。私も1980年代に一度、知人に連れられその展示に遭遇したことがある。灯祭りが開催されるなか、路上にポスター展示のように立てかけられた漫画の周りに老若男女が集まり、笑いながらあれこれ語り合っていた。私にとって、ミャンマーの人々がいかに風刺漫画を愛しているかを実感した原体験である。

一方、本作品は漫画を通じてみるミャンマーの独立闘争史、独裁政権や言論統制に対する闘いの歴史ともなっている。たとえば、英領時代のパゴダ等に英国人が靴でのぼった事件、ウー・オッタマの裁判、兵補募集に示される日本軍との共闘、その後の反日運動、独立運動の志士アウンサン将軍らの暗殺など、ミャンマーの近代史における核となる出来事を歴代の漫画は適切にとらえてきた。独立闘争の変化を描きだすペーテイン氏の筆と英知も秀逸である。ペーテイン氏は、古い伝統的なものから新しい独立闘争への変化を、伝統的民族衣装(ロンジー)の着方に象徴させて描きだす。すなわち、初期の独立闘争家は、彼らの政治的要求を、長く伝統的な美辞麗句で飾り、要領を得なかったとして、彼に仰々しく長い伝統衣装を着せる。そこからストレートに自由、独立を要求する闘争に変化していくさまを、ロンジーを徐々に短く着せることで的確に示すのである。

独立以降のネーウィン政権時代(1962-1988)の社会問題も示される。彼の闇市に関わる体験や、期せずして1988年8月8日に本格化した民主化運動を予言/扇動したかにみえる漫画の話などは、観客を大いに沸かせている。ちなみにこの講演は国民民主連盟(NLD)が1996年に開催したものだが、若干弾圧が緩んだ時期とはいえ軍政支配下でよく開催できたものだとも思う。ペーテイン氏のあとにアウンサンスーチー氏が講演する構造そのものが、漫画と政治の関係を端的に示している。

どの社会にも共通するだろうが、ミャンマーで笑いは極めて重要である。日常会話でも笑いは意識され、様々な儀礼でも笑いの含まれた出し物は不可欠である。また、日本で言えば吉本や松竹の新喜劇のような日々の生活に根付いた笑いが見出せるとともに、ブラックユーモアや政治風刺も根付いている。新聞や雑誌の一コマ漫画にもその双方が見られる。わかりやすい日常の笑いのなかに政治や社会問題を紛れ込ませることこそが言論統制を潜り抜ける知恵なのかもしれない。

本映画は1996年の音源をもとにしているが、政治と風刺は長年さまざまな媒体を通じて密接にかかわってきた。たとえば88年の民主化運動の際には、ヤンゴン工科大の学生であったザーガナーが伝統演劇(アニェイン)に挟み込まれる道化師として政治風刺で一世を風靡した。また、水掛け祭りの際に地域別に競うタンジャッ(囃子歌)も、韻を踏んだ詩で風刺や直截な批判がなされてきた。その鋭さに、ネーウィン政権時代にタンジャッが一時禁止されたほどである。今回のクーデター後、激しい抵抗で有名になったモンユワ市の若手カリスマリーダーのパンダは仲間を組織し、タンジャッを作って映像で披露している。また、反軍政側に立つ新聞雑誌はクーデター以降発行禁止になっていくが、人々は媒体としてSNSを使いつつ、クーデターや抵抗に関わる数多くの漫画やイラストを多数シェアしてきた。こうした新たな状況に関するドキュメンタリーも、いつの日か、監督に期待したいものである。

そして笑いは重要だが、同時に笑いごとではない状況がミャンマーでは今も続いている。

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