タイトル | 心の破片 |
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監督 | ナン・キンサンウィン |
制作国 | ミャンマー |
制作年 | 2021 |
VDP上映年 | 2021 -死と生と- |
上映分数 | 12min |
使用言語 | シャン語 |
字幕 | 英語/日本語 |
タグ | カヤー州, トラウマ, 女性, 性暴力, 武力衝突 |
作品紹介
ミャンマー東部のカヤー州の紛争地域では、女性や少女たちの生活は安全から程遠い状態にある。見る者を引き込むこの短編ドキュメンタリーはキンサンウィンの初監督作品である。監督は自分自身および自分と同じ村の出身の女性のトラウマを取り上げ、ミャンマー社会で女性に対する暴力を覆い隠す沈黙を破ろうとしている。
ナン・キンサンウィン
監督
ミャンマーのカヤー州ボーラケ郡で生まれ育つ。25歳。カヤー州の州都ロイコーでヤンゴン映画学校卒業生が開催したワークショップに参加し、映画制作への情熱に目覚める。2020年、ヤンゴン映画学校入学にあたって「カヤー州にある多くの隠された物語を明らかにしたい」と決意を語った。自身の来歴を果敢に振り返る『心の破片』は彼女が監督を務めた初のドキュメンタリー作品。
監督へのインタビュー
このドキュメンタリーを制作した理由は?
どのようないきさつからこのテーマに取り組むこととなりましたか?
はじめは戦争によって引き裂かれた人々や地雷の被害者たちが苦しい人生を何とか生きようとする姿を映画にしたいと思いました。しかし、その問題について調査を深めていく過程で、戦争の犠牲者となった女性たちの物語はほとんど描かれてこなかったことを知りました。戦争の犠牲者になった女性たちが、これまで、そしてこれからも、武器を持った男たちからどのように虐待され、困難な人生を歩み続けようと努力しているのか、それを伝える物語がほとんどないことに私は気が付きました。
審査員コメント
アニサイ・ケオラ
映画監督、Lao New Wave Cinema 共同設立者
『心の破片』を見た第一印象は、物語の詩的な語り口が作品に素晴らしい効果を与えているというものでした。よく練られたリズム感のあるナレーションや、最小限に抑えられたカメラの動きなど、非常に映画的で、ドキュメンタリー映画には非常に珍しいものでした。この作品では、観客は二人の主人公の女性を目の当たりにし、彼女たちの人生の苦しみや、二人がいかに戦争や男女不平等の影響を受けているかを知ることになります。そして、これらは時系列に沿って並べずに語られる悲惨な出来事の思い出を通じて観客に伝えられます。この映画は、通常用いられる「誰が、何を、いつ、どこで」の構図によって物語を語ることなく観客の心を見事に捉えます。また、このドキュメンタリーの重要な要素は、何といっても撮影技術です。撮影の構図やフレーミングが非常に美しく、なおかつ意味のあるものでした。監督は物語を再現するのではなく、観客に解釈を促すようなシーンを撮影することで、物語をクリエイティブに表現しています。例えば、主人公が川底で水の流れに逆らうように横たわるシーンがあります。このシーンは、監督に映画らしい視覚化による表現の才能があることを示す良い例です。物語の終わりが未完結であるところも、短編映画の性質によく合ったものです。映画のラストシーンは心に残る象徴的な映像で、とても力強く興味深いシーンでした。
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物言うポテト
「ポテト」という名の、障がいを持つカレン族の若い女性の物語。彼女は近所に住む既婚者にレイプされた。男は訴えられたが、婚外の性的関係を持った誘惑事件してうやむやにされた。しかし、固い意思を持つポテトと家族は、長い間口をつぐんで苦しんできた女性たちとこの事件を共有するため、真実と正義を求めて立ち上がった。- 国
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私の足
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速水 洋子
京都大学東南アジア地域研究研究所 教授 文化人類学
ミャンマー東部少数民族カヤー地域で少数民族軍とミャンマー軍とに挟まれて生活する村々では、生活圏に兵士が出入りする状況にあって、女性たちは日々、身の安全と生活の安寧を暴力によって脅かされている。この文脈ではどちらの軍も軍であり、敵も味方もあまり関係がない。監督が自身の経験を軸に描く静謐な作品の訴える力はドキュメンタリーというよりアートになっている。映像を通じて、暴力にさらされる痛みがリアルに伝わる。恐怖を乗り越えて街に出て監督が作った第一作である。