VDP2017 上映作品決定!

Visual Documentary Project 2017 上映5作品が決定しました。

しらさぎ

マレーシアのジョホールバルで水上生活を営む先住民セレタール人に関するドキュメンタリー。夫婦のアインとナシールを中心に、彼らが海から岸辺の村に移動したことが、ライフスタイルや生業にどのような影響を与えたかを映像で伝えている。急速な社会変化のなかで、コミュニティが柔軟性をもって対処し、不安定な未来に立ち向かう様子を描く。

Loh Yoke Ling (Malaysia)

ロー・ヨクリンはマレーシアの自主映画監督で、代替チャンネル向けの短編映画やドキュメンタリーの製作を行っている。マレーシアでドラマおよび映画産業を7年間経験した後、さらに映画学の分野を研究した。彼女は芸術メディアを通じたストーリーテリングの力に懸命に取り組んでいる。

 

Chee Wei Hsing (Malaysia)

チー・ウェイシンは学生で、ジャーナリズムの学位を取得、現在はマスコミュニケーションの学士号取得を目指して南方大学学院で学んでいる。新聞発行やドキュメンタリー映画制作、イベント企画といった学生プロジェクトに参加し写真家としても働いている。彼女は映画制作とメディアを通じた物語の伝達に熱意を抱いている。

 

撮影地 マレーシア

このドキュメンタリーを制作した理由は?
どのようないきさつからこのテーマに取り組む事となりましたか?

今年の3月、私はクアラルンプールからマレーシアのもう一つの大都市であるジョホールバルに越して来ました。職場への道中、私はいつも路傍で魚を売っている夫婦を見かけました。幹線道路のすぐ脇で、魚や海産物を売るその人達について、一体何者なのかと姉に尋ねました。姉は彼らがセレタール人という先住民族で、マサイ地区の我々の家の近くに住む人々だと答えました。私が非常に驚いたのは、この大都会に今もなお、先住民族の人々が存在するという事でした。これがきっかけとなり、幹線道路沿いの暮らしがどのようなものであるかを知る事となりました。

ジョホールバルの都市部には、今でも海に依存した生活を送る人々の集団があります。これは21世紀においては類のない稀な事です。セレタール人という沿岸部の先住民族の生活様式と、ジョホールバル市での都市生活は、非常に大きな対照を成していますが、いかに技術が進歩しようとも、彼らは独自の流儀で現在に生きる事を主張しています。暮らしの中で迫害に直面していてもなお、彼らがそれに甘んじているのは、家族が共にいれば十分だからです。彼らは多くを求めませんが、唯一必要な事は、家族が傍にいて、健康で息災な暮らしを送れるという事です。この映画の目的は、ジョホールバルの都会生活における彼ら独自の生活様式を観客に紹介する事、そして彼らの気ままな暮らしを具体的に描く事にあります。本作は、決して先住民族に対する哀れみを誘うために作られたのではなく、彼らが求める生活様式とは全く異なる対照的な都市生活の諸問題を、彼らが極めて楽観的な考え方を用いて克服する様子を明かそうとしたものです。

 


黄昏の郷愁

このドキュメンタリーは、ガンバン ・ クロモンの演奏者であるゴーヨン氏が、自らの過去の栄光について思い起こす姿を繊細に描写している。一人の男性が音楽の保存のために一生を捧げた様子を取リ上げることで、現 代インドネシアが抱える伝統芸能存続の難しさを浮き彫りにする。

Fazhila Anandya (Indonesia)

                           

29歳のファジラ・アナンディヤはビデオグラファーであり、映像作家でもある。2010年よりジャカルタ芸術大学に学び、2015年に文学士号を取得。『黄昏の郷愁』は彼のジャカルタ芸術大学での卒業制作である。本作品は、2015年インドネシア映画祭と2016年XXI短編映画祭で最優秀短編ドキュメンタリー部門にノミネートされた。またシリアでの2016年インドネシア映画週間の期間中にも上映され、 2016年Cilect (国際映画テレビ教育連盟)では映画作品集入りを果たした。

                           

 

                           

Andrew Saputro (Indonesia)

25歳のアンドリュー・サプトロは、プロのリ・レコーディング・ミキサー、サウンド・デザイナー、およびサウンド・ミキサーで、インドネシアのジャカルタを拠点としている。音響・映像および映画産業で4年以上勤め、サウンド・レコーディストやサウンド・デザイナーとして、多くの短編やウェブ・シリーズ、コマーシャルを手掛けて来た。2015年に文学士号を取得。『黄昏の郷愁』は、ジャカルタ芸術大学でのファジラ・アナンディヤとの合同の卒業制作である。

撮影地 インドネシア

このドキュメンタリーを制作した理由は?
どのようないきさつからこのテーマに取り組む事となりましたか?

年齢とは、仕事や創造性を妨げるものではありません。年齢とは、客体あるいは主体の存在する時間を測る尺度に過ぎないのです。人間である私たちに定められた事は、多様な過程を経験するという事ですが、生きていく中で良い事だけを経験するとは限りません。時に最悪の事態に出くわす事もあるでしょうし、また経験豊富な人々に出会う事もあります。多くの良い事や悪い事を経験する事になります。人生の晩年の体験をより多く知りたいという関心から、私たちはゴーヨン氏として知られるウン・シンヤン氏に出会いました。彼はテヒヤン(ブタウィ楽器)の演奏家です。現在、この楽器を使用する事は稀有な事となり、ごく稀にこの演奏を耳にする機会があるとすれば、それは伝統音楽の催事ガンバン・クロモン・ショー、大きなあやつり人形を使用する民俗パフォーマンスのオンデル・オンデル、あるいは大衆演劇レノン・ブタウィなどといった、ブタウィ文化のイベントぐらいです。そして、私たちがこれらの二弦楽器を演奏できる人に出会う事となれば、さらに稀な事ではないでしょうか。ほとんどの場合、テヒヤン奏者はゴーヨン氏と同様に年を取っており、楽器を演奏し続ける事が困難となっています。このような問題を目前に私たちは映像作家として、彼の物語を人々に伝える事を迫られたのです。実にこの音楽芸術のため、またこれを存続させるため、そしてテヒヤンを世に広め、忘れ去られぬようにするために貢献したのです。

 

 


ABCなんて知らない

カンボジアの首都プノンペンの路上のホームレスとして生きるある父子の姿を通して、彼らが抱える困難を 映し出すドキュメンタリー。よリ良い未来を切リ開くには教育が不可欠であることを示すとともに、ローン ・ ダラが息子を育てるために日々直面する試練をたどる。

Norm Phanith (Cambodia)

ノム・パニットは1989年カンボジアのバッタンバンに生まれ、メディアに情熱的に取り組んでいる。視覚芸術を4年間、2Dアニメーションを2年間Phare Punleu Selpakで学び、卒業後はアニメーション・スタジオのアシスタントの職に従事した。2011年には昇進し、アニメーション教師となり、教育や人身売買、移住者等に焦点を当てた様々な短編アニメを製作した。また、ボパナ視聴覚リソースセンターにおける一年間の映画制作プログラムの参加者に選出された。この際に制作した短編ドキュメンタリー映画『ABCなんか知らない』が最初の作品である。また『Sorrow Factory』『 Guide Boy』『the Hunter』など他の映画ではカメラマンを務めた。

撮影地 カンボジア

このドキュメンタリーを制作した理由は?
どのようないきさつからこのテーマに取り組む事となりましたか?

ドキュメンタリー映画がどのようなものなのか、これについて学ぶ機会を得るまでは全く知りませんでした。それは素晴らしい経験であり、大いなる学びのプロセスでありました。これによって私は自分の安全圏の外に、カンボジア社会に実在する社会の活動を担う人々の、実在の場における、実在の生活の物語があることを強く意識するようになりました。
プノンペンは首都であり、多くの人々が様々な地方から生活の糧を得ようと仕事を探しに来て住み着く所です。中にはプノンペンに寝泊まりする場所も、親類さえ持たない者達もあります。彼らは安価な(衛生状態の悪い)部屋を間借りして暮らし、日々の暮らしの糧を得ようと懸命に努力していますが、中には泊まる場所の部屋賃さえ払えない人々もいます。彼らは昼夜を通して働き、人の家や店の前など、適当な場所を見つけて泊まっているのです。
ホームレスの人々は世界中、特に各国の首都であればどこにでも見られるものです。この映画を通じて私が表現しようとしたのは、カンボジア社会の現実の小さな一部です。私が取り上げたのは首都でごみを収集して生計を立てるホームレスのシングル・ファーザーで、いわば、自らの必要最低限の要求も満たす事のできぬ人物です。この一事例は、この国の他のホームレスの人々の事例と非常によく似ています。ただし、ローン・ダラの場合は、息子を学校へやる事ができるように、父親として息子の面倒を見るという責任を全うしようとしているわけです。この映画で示しているのは、貧しい子供達の将来が、彼らの両親の今の考え方に大きく左右されるという事です。
私が他でもなくこの映画を作った理由は、いかにこのホームレスの貧しい男が、自分の息子の将来のために懸命の努力をしているかという事を見てほしかったからです。彼はお金の点では貧しくても、心は貧しくありません。つまり、ものごとを長い目で見る事ができています。彼は自分の息子が彼と同じように困難な人生を送る事を望んではいません。そこで様々な方法で自分の息子の勉強を支えようと模索するのですが、これは彼が、教育がよりよい将来への道であると確信しているからです。

 


私たちのヤンゴン

甚大な変化を遂げつつあるヤンゴンをユニークな視角から映し出す。和をもって生きることは生きる技である。都市の魅力は、抗しがた<誘惑的である。ヤンゴンは、農村からの移民にとって皆で暮らせば安全な砦となる。詩の朗読と、都市ヤンゴンの風景映像を織り交ぜるユニークな手法で、このドキュメンタリーは、希望や願望にあふれる都市に住む多様な人々が、心のなかで抱く葛藤や忍耐を描いている。

Shin Daewe (Myanmar)

シン・デウィはミャンマーのドキュメンタリー映画の先駆者の一人。1973年にヤンゴンに生まれ、大学時代には記事や詩を書くようになった。ミャンマーの諸大学が1996年の学生運動の時期に閉鎖されると、彼女はヤンゴンの製作会社であるAV Mediaに入社し、そこで間もなく、ドキュメンタリー映画製作への情熱を自覚する。2006年にヤンゴン映画学校 (YFS)で学び始めた彼女は、程なくしてこの学校で最も多作な映画作家の一人となった。彼女の作品の多く、例えばビルマ人画家、Rahulaを描いた『An Untitled Life』や、ミャンマーの乾燥地帯に暮らす少女についての『Now I am Thirteen』などの作品は、世界中の多くの映画祭で上映され、高い評価を得ている。

 

Ko Oo (Myanmar)

コ・オーは写真家で、主な関心はビルマ人の現実とその肖像である。ミャンマーのドキュメンタリー映画作家の先駆者であるシン・デウィと2006年に結婚し、以来数々の短編ドキュメンタリー映画を共同制作している。

撮影地 ミャンマー

このドキュメンタリーを制作した理由は?
どのようないきさつからこのテーマに取り組む事となりましたか?

都市は現代文明の顔であり、首都は国家の心です。都市は一国の住民にとって魅力の中心であります。ほとんどの都市は活気があり、新しく、立派なものです。都市は未来を予言するだけではなく、博物館さながらに過去を陳列して見せるものでもあるでしょう。19世紀の後半、ヤンゴンは東南アジアの中心でした。つまり、ヤンゴンはこの地域の最も美しい都市としての過去を豊かに包含していたというわけです。今日、ヤンゴンの未来は民主化を通じた包括的な諸改革にあります。私は今がヤンゴンに暮らす人々の詩的な生活を記録する上で、最適な時機である事を確信しているのです。

 


密告

ドゥテルテが政権の座について以来、フィリピンでは、政府による麻薬撲滅キャンペーンのもとで横行する毎夜の人斬りが人々を恐怖におとしめている。このドキュメンタリーは、愛する息子をこの闘いで失ったある家族が経験する苦境を描き、現在進行中のフィリピンにおける政治危機を、ある個人の視点から赤裸々に描いている。

Edrea Camile L. Samonte (Philippines)

エドレア・カミール・L.サモンテは、フィリピンのマニラに拠点を置く意欲的なドキュメンタリー映像作家。聖スコラスティカ大学のマスコミュニケーション(放送ジャーナリズム)学部を優秀な成績で卒業。彼女の作品は主に社会政治的な問題や先住民族、人権などに焦点を当てている。卒業制作である『Bulabog』(2017)は、聖スコラスティカ大学のマスコミニュケ-ション学科で最優秀卒業制作ドキュメンタリー賞を受賞。2017年8月、彼女の手掛けた学生映画『Timbre(密告)』が、第29回フィリピン文化センター自主制作映画祭のドキュメンタリー部門で第三位を獲得した。現在はテレビ・ニュース番組のプロデューサーとして常勤で働く傍ら、フリーランスで国内外のドキュメンタリー映画製作の取材やフィールド・プロデューサー、製作アシスタントなどの仕事も行う。

 

Nicole Pamela M. Bareo (Philippines)

ニコル・パメラ・M・バレオは、1995年フィリピン・マニラ生まれ。聖スコラスティカ大学のマスコミュニケーション(放送ジャーナリズム)学部を卒業。2017年8月、彼女の共同制作による学生映画『Timbre(密告)』が、第29回フィリピン文化センター自主制作映画祭のドキュメンタリー部門で第三位を獲得。現在、製作コーディネーターとしてSDIメディア・フィリピンで働く。

撮影地 フィリピン

このドキュメンタリーを制作した理由は?
どのようないきさつからこのテーマに取り組む事となりましたか?

クラスメートと私が超法規的殺人についてのドキュメンタリーを制作しようと決めた理由は、政府の麻薬撲滅戦争が殺害しているのが、どうやら麻薬密売組織の大物たちでなく、下位の薬物使用者たちで、主に都市貧困コミュニティの出身者たちである事に気が付いたためです。私たちはフィリピン社会の最も暗い片隅にあって声を持たない被害者たちのために声を上げ、この残忍な人殺しに対する人々の認識に疑問を投じたいと考えています。多くの人々が沈黙し続け、なすすべもなく見て見ぬふりをしてきました。私たちは、我々が光を当てたこの語られぬ物語、ロドリゴ・ドゥテルテ大統領の麻薬撲滅戦争の中で殺された人々の、被害者となった遺族達の物語によって、多くの人々に実際に何が起きているのかを見てほしいのです。この運動では年齢や性別、境遇の区別も無く、罪無き人々までもが一斉射撃の巻き添えとなっています。また、考えると気の滅入る事ではありますが、今、国民の間には一層の冷淡さが募っています。これは多くのフィリピン人たちが、このような残忍な人殺しに対して感覚を鈍らせてしまったためです。このドキュメンタリー映画が、人々の正常な感覚を取り戻させる契機となり、崇高なものとされるこの戦いの目的に彼らが批判的となり、疑念を抱かせるよう、一石を投じる事ができれば良いと思います。