DL

2-3

4-5

6-7

8-9

10-11

12-13

14-15

16-17

18-19

しらさぎ

マレーシアのジョホールバルで水上生活を営む先住民セレタール人に関するドキュメンタリー。夫婦のアインとナシールを中心に、彼らが海から岸辺の村に移動したことが、ライフスタイルや生業にどのような影響を与えたかを映像で伝えている。急速な社会変化のなかで、コミュニティが柔軟性をもって対処し、不安定な未来に立ち向かう様子を描く。

Loh Yoke Ling (Malaysia)

ロー・ヨクリンはマレーシアの自主映画監督で、代替チャンネル向けの短編映画やドキュメンタリーの製作を行っている。マレーシアでドラマおよび映画産業を7年間経験した後、さらに映画学の分野を研究した。彼女は芸術メディアを通じたストーリーテリングの力に懸命に取り組んでいる。

 

Chee Wei Hsing (Malaysia)

チー・ウェイシンは学生で、ジャーナリズムの学位を取得、現在はマスコミュニケーションの学士号取得を目指して南方大学学院で学んでいる。新聞発行やドキュメンタリー映画制作、イベント企画といった学生プロジェクトに参加し写真家としても働いている。彼女は映画制作とメディアを通じた物語の伝達に熱意を抱いている。

 

撮影地 マレーシア

このドキュメンタリーを制作した理由は?
どのようないきさつからこのテーマに取り組む事となりましたか?

今年の3月、私はクアラルンプールからマレーシアのもう一つの大都市であるジョホールバルに越して来ました。職場への道中、私はいつも路傍で魚を売っている夫婦を見かけました。幹線道路のすぐ脇で、魚や海産物を売るその人達について、一体何者なのかと姉に尋ねました。姉は彼らがセレタール人という先住民族で、マサイ地区の我々の家の近くに住む人々だと答えました。私が非常に驚いたのは、この大都会に今もなお、先住民族の人々が存在するという事でした。これがきっかけとなり、幹線道路沿いの暮らしがどのようなものであるかを知る事となりました。

ジョホールバルの都市部には、今でも海に依存した生活を送る人々の集団があります。これは21世紀においては類のない稀な事です。セレタール人という沿岸部の先住民族の生活様式と、ジョホールバル市での都市生活は、非常に大きな対照を成していますが、いかに技術が進歩しようとも、彼らは独自の流儀で現在に生きる事を主張しています。暮らしの中で迫害に直面していてもなお、彼らがそれに甘んじているのは、家族が共にいれば十分だからです。彼らは多くを求めませんが、唯一必要な事は、家族が傍にいて、健康で息災な暮らしを送れるという事です。この映画の目的は、ジョホールバルの都会生活における彼ら独自の生活様式を観客に紹介する事、そして彼らの気ままな暮らしを具体的に描く事にあります。本作は、決して先住民族に対する哀れみを誘うために作られたのではなく、彼らが求める生活様式とは全く異なる対照的な都市生活の諸問題を、彼らが極めて楽観的な考え方を用いて克服する様子を明かそうとしたものです。

 

東南アジア地域研究研究所 山本博之

「しらさぎ」

この作品の舞台は、マレーシア南部のジョホール州の州都で、マラヤ半島の最南端に位置するジョホールバルです。ジョホールバルのさらに南には、海を挟んでシンガポールがあります。海と言っても、幅が500メートルから2キロメートル程度の海峡です。マレー語で海峡はセラテといい、マラッカ王国の時代から、この海峡一帯に住む水上民はセラテ人と呼ばれていました。それが現在ではセレタール人と呼ばれています。セレタール人は、かつては海峡の両側に、マレーシア側とシンガポール側に住んでいましたが、シンガポールの経済開発が進むにつれてマレーシア側に移住しました。そして今、ジョホールバルの経済開発が進む中で、マレーシア側でも行き場を失いつつあるというのがこの作品の背景です。マレーシア側の資料によれば、現在、セレタール人はジョホール州を中心に全国に約1000人しかおらず、その暮らしの様子を捉えたこの作品はとても貴重な映像です。

この作品のタイトルになっている白鷺(しらさぎ)は、主に東南アジアの熱帯地域の水辺に見られ、木の上に巣を作って群れを成して棲み、カニや魚を捕えて食べます。マレーシアでは、絶滅のおそれがあるということで、保護の対象になっています。この作品は、マレーシア政府によるセレタール人の定住政策を声高に批判してはいませんが、タイトルを工夫することで、セレタール人が置かれている境遇をうまく表現しています。

マレーシアでは、「ブミプトラ」(先住民・原住民)を優遇するブミプトラ政策が採られており、原住民であるマレー人の多くは経済発展の恩恵を享受してきました。セレタール人も先住民なのでブミプトラ政策の対象ですが、現実にはこの作品のアインとナシールの夫婦のように、経済開発から置き去りにされ、伝統的な生活の維持が難しい境遇に置かれた人たちもいます。ブミプトラ政策は実際にはマレー人優遇政策であって、マレー人以外の先住民・原住民の生活水準は低いままになっているという現実があります。

このように、この作品は、経済開発と都市化が進む裏で、豊かな自然環境や人々の伝統的な暮らしが失われつつある様子を描いています。ただし、この作品の魅力は、セレタール人を消えゆく運命にある哀れな人々だとは描いていないところにあります。アインとナシールは、収入が安定しないとはいえ、小規模ながらも人を雇う起業家です。何よりも驚くのは、マングローブでカニを採ったり海辺で貝を養殖したりしているだけなら必要ないような、高性能で高価そうなエンジンを積んだスピードボートを持っていることです。スピードボートでどんなもの(人?)を運んでいるのかといったことを入り口として、セレタール人がこの地域の人々とどのような関係を結んでおり、地域社会でどのような役割を担っているのかといった側面も見えてくるかもしれません。そのような余韻を残した広がりのある作品です。


黄昏の郷愁

このドキュメンタリーは、ガンバン ・ クロモンの演奏者であるゴーヨン氏が、自らの過去の栄光について思い起こす姿を繊細に描写している。一人の男性が音楽の保存のために一生を捧げた様子を取リ上げることで、現 代インドネシアが抱える伝統芸能存続の難しさを浮き彫りにする。

Fazhila Anandya (Indonesia)

                           

29歳のファジラ・アナンディヤはビデオグラファーであり、映像作家でもある。2010年よりジャカルタ芸術大学に学び、2015年に文学士号を取得。『黄昏の郷愁』は彼のジャカルタ芸術大学での卒業制作である。本作品は、2015年インドネシア映画祭と2016年XXI短編映画祭で最優秀短編ドキュメンタリー部門にノミネートされた。またシリアでの2016年インドネシア映画週間の期間中にも上映され、 2016年Cilect (国際映画テレビ教育連盟)では映画作品集入りを果たした。

                           

 

                           

Andrew Saputro (Indonesia)

25歳のアンドリュー・サプトロは、プロのリ・レコーディング・ミキサー、サウンド・デザイナー、およびサウンド・ミキサーで、インドネシアのジャカルタを拠点としている。音響・映像および映画産業で4年以上勤め、サウンド・レコーディストやサウンド・デザイナーとして、多くの短編やウェブ・シリーズ、コマーシャルを手掛けて来た。2015年に文学士号を取得。『黄昏の郷愁』は、ジャカルタ芸術大学でのファジラ・アナンディヤとの合同の卒業制作である。

撮影地 インドネシア

このドキュメンタリーを制作した理由は?
どのようないきさつからこのテーマに取り組む事となりましたか?

年齢とは、仕事や創造性を妨げるものではありません。年齢とは、客体あるいは主体の存在する時間を測る尺度に過ぎないのです。人間である私たちに定められた事は、多様な過程を経験するという事ですが、生きていく中で良い事だけを経験するとは限りません。時に最悪の事態に出くわす事もあるでしょうし、また経験豊富な人々に出会う事もあります。多くの良い事や悪い事を経験する事になります。人生の晩年の体験をより多く知りたいという関心から、私たちはゴーヨン氏として知られるウン・シンヤン氏に出会いました。彼はテヒヤン(ブタウィ楽器)の演奏家です。現在、この楽器を使用する事は稀有な事となり、ごく稀にこの演奏を耳にする機会があるとすれば、それは伝統音楽の催事ガンバン・クロモン・ショー、大きなあやつり人形を使用する民俗パフォーマンスのオンデル・オンデル、あるいは大衆演劇レノン・ブタウィなどといった、ブタウィ文化のイベントぐらいです。そして、私たちがこれらの二弦楽器を演奏できる人に出会う事となれば、さらに稀な事ではないでしょうか。ほとんどの場合、テヒヤン奏者はゴーヨン氏と同様に年を取っており、楽器を演奏し続ける事が困難となっています。このような問題を目前に私たちは映像作家として、彼の物語を人々に伝える事を迫られたのです。実にこの音楽芸術のため、またこれを存続させるため、そしてテヒヤンを世に広め、忘れ去られぬようにするために貢献したのです。

 

国立民族学博物館 福岡正太

「黄昏の郷愁」

まず、私の率直な感想を述べます。この作品は、テヒヤンの奏者に密着して、淡々と彼の暮らしを撮っています。映像も、ストーリーも、恣意的に誇張するような部分がなく、そのためにゴーヨンさんの存在を身近に感じることができました。それがこの作品の良いところであると私は思います。

テヒヤン奏者のゴーヨンさんは、若い頃はテヒヤンの音楽を恥ずかしく思っていたこともあったようですが、現在ではテヒヤンの伝統を伝えていきたいと考え、息子にも教えています。家を建てることができたのだから、とても貧しいわけではないでしょうが、かといって裕福ではありません。家では、中国式の祈りを欠かさず、知り合いからバカにされることがあっても、日の出前からペットボトル拾いをして、日中は時間があれば楽器を作るというまじめさをもっています。彼がおかれているそうした状況と彼の人となりをよく捉えた作品だと思います。

テヒヤンは華人がもたらした楽器で、ブタウィとよばれるジャカルタ近辺に住む人々の音楽・芸能に広く使われています。オランダ植民地時代バタヴィアと呼ばれていた現在のジャカルタには、インドネシア各地から集まった人々に加え、華人も比較的たくさん住んでいました。やがてブタウィと呼ばれるようになった彼らの文化には、華人がもたらしたもの以外にも様々な起源のものが融合しています。また、スカルノ=ハッタ空港があるタングラン周辺には、多くの華人が住んでおり、彼らが伝えている中国起源の文化の中でも、テヒヤンは重要な位置を占めています。ちなみに作品中、ゴーヨンさんら3人がトラックの上で演奏しているシーンがありますが、あれはバンカ島で撮影されたそうです。テヒヤンはインドネシアの華人ネットワークの中でも意味をもつ楽器であることを示しています。

私がこの作品を見て、関心をもったことの1つは、監督がどのようにテヒヤンやブタウィの文化をとらえているかということです。タイトルは「黄昏の郷愁」となっていますが、私のブタウィ文化、特に音楽や芸能のイメージは、とても生き生きとしたものです。作品の中にも出てきますが、ギターやドラムなどと一緒に演奏することはブタウィの音楽では当たり前のことで、むしろそこにどん欲に様々なものを取り入れるブタウィらしさがあらわれているとも考えられます。

文化を伝えるということは、それを引き継ぐ次の世代の問題でもあります。もし若い監督の目にブタウィの文化が「黄昏の郷愁」に映るのであれば、ブタウィ文化は力を失ってきているということなのかもしれません。監督にとって、テヒヤンやブタウィ文化は単なる郷愁なのか、あるいは、新しい創作を刺激する力をもったものなのか、その答えはテヒヤンの将来を占うものになるでしょう。それは、この映像作品によって、どのように社会にコミットしていこうとしているのかという問題にもつながってくると思うからです。

 


ABCなんて知らない

カンボジアの首都プノンペンの路上のホームレスとして生きるある父子の姿を通して、彼らが抱える困難を 映し出すドキュメンタリー。よリ良い未来を切リ開くには教育が不可欠であることを示すとともに、ローン ・ ダラが息子を育てるために日々直面する試練をたどる。

Norm Phanith (Cambodia)

ノム・パニットは1989年カンボジアのバッタンバンに生まれ、メディアに情熱的に取り組んでいる。視覚芸術を4年間、2Dアニメーションを2年間Phare Punleu Selpakで学び、卒業後はアニメーション・スタジオのアシスタントの職に従事した。2011年には昇進し、アニメーション教師となり、教育や人身売買、移住者等に焦点を当てた様々な短編アニメを製作した。また、ボパナ視聴覚リソースセンターにおける一年間の映画制作プログラムの参加者に選出された。この際に制作した短編ドキュメンタリー映画『ABCなんか知らない』が最初の作品である。また『Sorrow Factory』『 Guide Boy』『the Hunter』など他の映画ではカメラマンを務めた。

撮影地 カンボジア

このドキュメンタリーを制作した理由は?
どのようないきさつからこのテーマに取り組む事となりましたか?

ドキュメンタリー映画がどのようなものなのか、これについて学ぶ機会を得るまでは全く知りませんでした。それは素晴らしい経験であり、大いなる学びのプロセスでありました。これによって私は自分の安全圏の外に、カンボジア社会に実在する社会の活動を担う人々の、実在の場における、実在の生活の物語があることを強く意識するようになりました。
プノンペンは首都であり、多くの人々が様々な地方から生活の糧を得ようと仕事を探しに来て住み着く所です。中にはプノンペンに寝泊まりする場所も、親類さえ持たない者達もあります。彼らは安価な(衛生状態の悪い)部屋を間借りして暮らし、日々の暮らしの糧を得ようと懸命に努力していますが、中には泊まる場所の部屋賃さえ払えない人々もいます。彼らは昼夜を通して働き、人の家や店の前など、適当な場所を見つけて泊まっているのです。
ホームレスの人々は世界中、特に各国の首都であればどこにでも見られるものです。この映画を通じて私が表現しようとしたのは、カンボジア社会の現実の小さな一部です。私が取り上げたのは首都でごみを収集して生計を立てるホームレスのシングル・ファーザーで、いわば、自らの必要最低限の要求も満たす事のできぬ人物です。この一事例は、この国の他のホームレスの人々の事例と非常によく似ています。ただし、ローン・ダラの場合は、息子を学校へやる事ができるように、父親として息子の面倒を見るという責任を全うしようとしているわけです。この映画で示しているのは、貧しい子供達の将来が、彼らの両親の今の考え方に大きく左右されるという事です。
私が他でもなくこの映画を作った理由は、いかにこのホームレスの貧しい男が、自分の息子の将来のために懸命の努力をしているかという事を見てほしかったからです。彼はお金の点では貧しくても、心は貧しくありません。つまり、ものごとを長い目で見る事ができています。彼は自分の息子が彼と同じように困難な人生を送る事を望んではいません。そこで様々な方法で自分の息子の勉強を支えようと模索するのですが、これは彼が、教育がよりよい将来への道であると確信しているからです。

 

東南アジア地域研究研究所 小林知

「ABCなんて知らない」

このドキュメンタリーの舞台は、カンボジアの首都のプノンペンの路上です。路上の生活、ホームレスの人々の日常が撮影の対象です。まず何よりも、それは、経済発展の光と影を映しだしています。最近のカンボジアは、大変なスピードで経済発展を遂げています。いまプノンペンを訪れると、最新のiPhoneをもち、車や家を買い、綺麗なレストランで食事することを楽しんでいる人々を多くみます。経済発展は多くの人々に幸福をもたらしました。しかし、貧しい人はいつまでも貧しいということも事実です。

撮影されているのは王宮近くの街並みです。父親はゴミを拾い、息子を学校に通わせています。学校は市の中心部の大きな仏教寺院のなかにあるようです。NGOが運営するものだと思います。カンボジアでは仏教寺院と学校教育が古くから結びついています。路上の子供に教育を提供する場所が寺院にあるという点は、文化的な伝統を感じさせ、興味深く感じました。

このドキュメンタリーについては、「より良い未来を切り開くには教育が不可欠であることを示す」ものであり、教育の重要性を訴えるものだという意見が、監督自身の紹介文や識者の講評のなかにあります。しかし、わたしは、教育というテーマをこの映像から強く感じませんでした。それよりも、「子供への愛情」と「動かしがたい貧困」という普遍的なテーマを感じました。この2つの普遍的なメッセージは、この映像の強さの基本だと思います。

一方でわたしは、映像が捉えた父親の生き様に惹きつけられました。彼は妻と長らく会っていないようです。異父兄弟とは犬猿の仲です。彼が生活を共にしているのは、息子と、同じく路上で暮らす何人かの仲間だけです。

わたしの調査の経験によると、カンボジアでは、病気がちでさえなければ、比較的簡単に生きる場所と術を探すことができます。土地がなくても、労働してお金を稼いだらよいでしょう。実際多くの人々が、生活に困ると、出稼ぎにでかけます。子供も親類に預けたり、お寺に住まわせて僧侶の食べ残しをいただいたりして、生きる場所を与えることができます。教育も小学校レベルなら経済的な負担は少なく、通わせる方法を探すことも可能だと思います。

映像が映す生活をみると、いまは、息子を学校に通わせ、着る服も買うことができています。しかし、そのような父子の時間は、実に危ういバランスの上に成り立った幸せです。正直、近い別れが予想されます。撮影時に息子は5歳だったそうです。まだ純粋無垢で、貧しさがどのようなものかよく分かっていません。しかし、もう少し大きくなれば、彼には彼の、父や社会に対する考えが生まれます。教育を考えるのであれば、息子を孤児院に預けて、父親がひとりで働いた方が、将来を見据えた行動だといえるかもしれません。

では、なぜ父は、プノンペンの路上で暮らすのでしょう。彼には、人との関係を絶ちたいという欲望があるように思います。他の人との関係をたち切って生きたいがために、故郷には帰りたくないし、田舎にも住みたくない。そのため、都市に身を置き、子供との関係に逃げ込んでいるようにみえます。わたしは、父親を批判しているのではありません。それは人間らしい行動のひとつだと思います。もちろん、なぜ父はそのような生き様を選んだのか、子供の母はどのような人なのかなど、様々な想像が掻き立てられます。

ここで父親の生き様と街の映像が示しているのは、別の見方をすると、そのような生き様を許容し、受け入れる都市の<路上>という空間の性質かもしれません。それは、『しらさぎ』や『黄昏の郷愁』が捉えたものとは別の種類の人間の姿と、都市の特徴を浮かび上がらせています。<路上>にて、人間としての苦しみにもだえる姿。それは、普遍的なものです。ここ京都にも、タイのバンコクでも、アメリカのニューヨークにも、都市の<路上>には、人間としての苦しみに不器用に向かい合う人がいるのではないでしょうか。このメッセージも、普遍的なものであり、このドキュメンタリーの映像の強さをつくっていると思います。


私たちのヤンゴン

甚大な変化を遂げつつあるヤンゴンをユニークな視角から映し出す。和をもって生きることは生きる技である。都市の魅力は、抗しがた<誘惑的である。ヤンゴンは、農村からの移民にとって皆で暮らせば安全な砦となる。詩の朗読と、都市ヤンゴンの風景映像を織り交ぜるユニークな手法で、このドキュメンタリーは、希望や願望にあふれる都市に住む多様な人々が、心のなかで抱く葛藤や忍耐を描いている。

Shin Daewe (Myanmar)

シン・デウィはミャンマーのドキュメンタリー映画の先駆者の一人。1973年にヤンゴンに生まれ、大学時代には記事や詩を書くようになった。ミャンマーの諸大学が1996年の学生運動の時期に閉鎖されると、彼女はヤンゴンの製作会社であるAV Mediaに入社し、そこで間もなく、ドキュメンタリー映画製作への情熱を自覚する。2006年にヤンゴン映画学校 (YFS)で学び始めた彼女は、程なくしてこの学校で最も多作な映画作家の一人となった。彼女の作品の多く、例えばビルマ人画家、Rahulaを描いた『An Untitled Life』や、ミャンマーの乾燥地帯に暮らす少女についての『Now I am Thirteen』などの作品は、世界中の多くの映画祭で上映され、高い評価を得ている。

 

Ko Oo (Myanmar)

コ・オーは写真家で、主な関心はビルマ人の現実とその肖像である。ミャンマーのドキュメンタリー映画作家の先駆者であるシン・デウィと2006年に結婚し、以来数々の短編ドキュメンタリー映画を共同制作している。

撮影地 ミャンマー

このドキュメンタリーを制作した理由は?
どのようないきさつからこのテーマに取り組む事となりましたか?

都市は現代文明の顔であり、首都は国家の心です。都市は一国の住民にとって魅力の中心であります。ほとんどの都市は活気があり、新しく、立派なものです。都市は未来を予言するだけではなく、博物館さながらに過去を陳列して見せるものでもあるでしょう。19世紀の後半、ヤンゴンは東南アジアの中心でした。つまり、ヤンゴンはこの地域の最も美しい都市としての過去を豊かに包含していたというわけです。今日、ヤンゴンの未来は民主化を通じた包括的な諸改革にあります。私は今がヤンゴンに暮らす人々の詩的な生活を記録する上で、最適な時機である事を確信しているのです。

 

龍谷大学 川本佳苗

「私たちのヤンゴン」

この映画は、詩の朗読にのせて、詩人リーンウェーケッ(長い髪の男性)とその妻子、そしてコータインウィン(外で布施を集っていた男性)と産婆の妻と息子という2組の家族の日常を中心に描きつつ、ヤンゴンの過去・現在・未来といった、世界や人々の普遍的な営みを映し出します。ヤンゴンの「過去」は、仏教に対する信仰などの伝統的慣習によって表現されます。この映画は7~10月の雨期に撮影されていますが、この時期は「安居」と呼ばれる僧侶達の特別な修業期間であり、宗教的な重要性をもっています。また列車や街の交通渋滞、家庭の風景は「現在」を、産婆と妊娠した女性や子ども達の場面は「未来」へと続く新しい生命を象徴しています。

この映画には、ユニークな視点が2点あります。1点目は、「涅槃(ニルヴァーナ;パーリ語でニッバーナ)」の比喩が何度も使われていることです。たとえば、リーンがTシャツにプリントを施す作業をしている場面で「涅槃の到達は瞑想すればできるが、ヤンゴンで家をもつことは(実現不可能な)夢だ」と述べています。ミャンマーでは、国民の多くが敬虔な上座部仏教徒で、タイやラオスなど周辺の仏教国と比べても「涅槃を目指す」ことを強調する傾向があります。ですから、涅槃・悟りはミャンマー人仏教徒にとって理想の、憧れの境地なのです。もちろん、簡単に涅槃に到達できるわけではありませんが、そのための修行法を指導してくれる僧侶はいます。一方、ヤンゴンで家をもつ方法を指導してくれる人は、誰もいません。涅槃への到達よりも、豊かな暮らしの方が不可能だと思えるほど、ヤンゴンでの生活は大変なのでしょう。

また、雨が止んだ後、「現実を気にしなければ、 ヤンゴンは幸せな涅槃だ。苦労(ミャンマー語でドゥッカ;元来はパーリ語の仏教用語)を受け入れ、幸せを感じながら、生きることを学んでいく」という詩文が出てきます。プールのように雨水が溜まった状態を、汚い、ドゥッカだ、と嫌がることもできますし、日本人ならばほとんどがそう考えるでしょう。でもこの場面では、涅槃の例えを用いた真意を伝えるべく、子供や犬などが泳ぐ様子を楽しくユーモラスに描いています。つまり、ある状況を困難とするか、楽しむかは、考え方次第なのです。

2点目は、ヤンゴンを絶対的生命体のように表現している点です。リーンが電車から降りた後、「ヤンゴンは一つしかない」という詩文が繰り返されます。ヤンゴンを、たとえばニューヨークや東京などの大都市のうちの一つだとみなしたら、そこに比較や相対の関係が生まれます。でも、ヤンゴンは一つしかない。私たちがヤンゴンを選ぶ、あるいはヤンゴンが私たちを選ぶ、といった相対の関係を超えた絶対的な存在なのです。

この示唆は、映画の最後の「何かを待ち望みながら、皮肉にもヤンゴンは殻を破ることができない」という一節に繋がります。ヤンゴンは、変化したいという意志をもつ生命体でありながらも、絶対的な存在であるがゆえに、なかなか変化できないのです。

では結局、この一神教の絶対神のような存在のヤンゴンに対して、人は何ができるでしょうか?リーンは、ヤンゴンを自由な場所、避難所、一人でも生きていける場所などと称賛しつつも、ヤンゴンではマイホームも持てないし、何年住もうと自分はよそ者だという不安も告白しています。

ならば、雨水で遊ぶ子供たちのように、不完全な、不安定な、苦しみで満ちたこの人生をただ受け入れるしかないのではないでしょうか。それこそ、ヤンゴンで暮らす人々なりの、涅槃のような幸福を感じる方法ではないでしょうか? この映画からは、そのような監督の問いかけを感じました 。


密告

ドゥテルテが政権の座について以来、フィリピンでは、政府による麻薬撲滅キャンペーンのもとで横行する毎夜の人斬りが人々を恐怖におとしめている。このドキュメンタリーは、愛する息子をこの闘いで失ったある家族が経験する苦境を描き、現在進行中のフィリピンにおける政治危機を、ある個人の視点から赤裸々に描いている。

Edrea Camile L. Samonte (Philippines)

エドレア・カミール・L.サモンテは、フィリピンのマニラに拠点を置く意欲的なドキュメンタリー映像作家。聖スコラスティカ大学のマスコミュニケーション(放送ジャーナリズム)学部を優秀な成績で卒業。彼女の作品は主に社会政治的な問題や先住民族、人権などに焦点を当てている。卒業制作である『Bulabog』(2017)は、聖スコラスティカ大学のマスコミニュケ-ション学科で最優秀卒業制作ドキュメンタリー賞を受賞。2017年8月、彼女の手掛けた学生映画『Timbre(密告)』が、第29回フィリピン文化センター自主制作映画祭のドキュメンタリー部門で第三位を獲得した。現在はテレビ・ニュース番組のプロデューサーとして常勤で働く傍ら、フリーランスで国内外のドキュメンタリー映画製作の取材やフィールド・プロデューサー、製作アシスタントなどの仕事も行う。

 

Nicole Pamela M. Bareo (Philippines)

ニコル・パメラ・M・バレオは、1995年フィリピン・マニラ生まれ。聖スコラスティカ大学のマスコミュニケーション(放送ジャーナリズム)学部を卒業。2017年8月、彼女の共同制作による学生映画『Timbre(密告)』が、第29回フィリピン文化センター自主制作映画祭のドキュメンタリー部門で第三位を獲得。現在、製作コーディネーターとしてSDIメディア・フィリピンで働く。

撮影地 フィリピン

このドキュメンタリーを制作した理由は?
どのようないきさつからこのテーマに取り組む事となりましたか?

クラスメートと私が超法規的殺人についてのドキュメンタリーを制作しようと決めた理由は、政府の麻薬撲滅戦争が殺害しているのが、どうやら麻薬密売組織の大物たちでなく、下位の薬物使用者たちで、主に都市貧困コミュニティの出身者たちである事に気が付いたためです。私たちはフィリピン社会の最も暗い片隅にあって声を持たない被害者たちのために声を上げ、この残忍な人殺しに対する人々の認識に疑問を投じたいと考えています。多くの人々が沈黙し続け、なすすべもなく見て見ぬふりをしてきました。私たちは、我々が光を当てたこの語られぬ物語、ロドリゴ・ドゥテルテ大統領の麻薬撲滅戦争の中で殺された人々の、被害者となった遺族達の物語によって、多くの人々に実際に何が起きているのかを見てほしいのです。この運動では年齢や性別、境遇の区別も無く、罪無き人々までもが一斉射撃の巻き添えとなっています。また、考えると気の滅入る事ではありますが、今、国民の間には一層の冷淡さが募っています。これは多くのフィリピン人たちが、このような残忍な人殺しに対して感覚を鈍らせてしまったためです。このドキュメンタリー映画が、人々の正常な感覚を取り戻させる契機となり、崇高なものとされるこの戦いの目的に彼らが批判的となり、疑念を抱かせるよう、一石を投じる事ができれば良いと思います。

 

名古屋大学大学院国際開発研究科 日下渉

「密告」

この映像で描かれた世界は、現在のフィリピンの日常風景です。こんな人権侵害の横行にもかかわらず、ドゥテルテ大統領は7割ほどの支持率を維持しています。被害者のほとんどは貧困層ですが、彼らの多くも支持しているのです。なぜなのでしょうか。それは、麻薬戦争を容認する人々は、自分たちは「善良なる市民」で、殺されているのは、自分たちの生活を脅かす「悪しき犯罪者」だと考えているからです。背景には「悪い人間がいなくなれば、社会も自分たちの生活も良くなる」という発想があります。

ドゥテルテの麻薬戦争が支持される背景には、役人が法を悪用して汚職に精を出すので、法規制が機能していないとの苛立ちがあります。たとえば、多くの悪徳警官が、麻薬密売者から上納金を受け取ったり、押収した麻薬を横流しして利益を得てきました。その結果、容易に麻薬を手に入れることができ、多くの家族や地域を悩ませてきました。大統領の支持者は、彼が厳格な規律と鉄拳でもって、こうした腐ったシステムを破壊し、法の支配と社会秩序を再生してくれると期待しているのです。

しかし、法の支配を再生させるためとして超法規的な殺害さえ推奨するのは大きな矛盾です。映画のなかに、殺された若者の遺体のすぐ隣に、「ナボタス市には規律がある」というサインボードが掲示されていました。このシーンは、大統領の語る「規律」の矛盾を見事に表していたと思います。

麻薬戦争は法制度を再生するというよりも、さらに弱体化させ、この政策の限界を露呈させていくでしょう。何らかの理由で消したい人間を「麻薬犯罪者」に仕立て上げれば、いかなる殺人も許されてしまう社会が生まれています。悪徳警官がかつて仲間だった麻薬関係者を口封じで射殺したり、一般人を恐喝して金を巻き上げるといったケースも相次いでいます。もっと言えば、ドゥテルテの長男らが麻薬密輸に関与していた疑惑も報じられています。

ドゥテルテ支持者たちも犠牲になっています。殺されたレイマートのお母さんも支持者だったと思います。現在フィリピン人の10人に1人が海外で暮らしていますが、大統領は海外出稼ぎフィリピン人の間で人気です。彼らは法制度が厳格に実施されている社会で暮らしており、フィリピンもそうなって欲しいと願っています。また、海外で稼いだお金を家族のために送金しているのですが、フィリピンに残してきた子供たちが麻薬の犠牲者になってしまわないか心配しているからです。しかし、レイマートのように、海外出稼ぎ者の子供が殺される事件が相次いでいるのです。これは大統領の重大な裏切りです。

もとよりフィリピン社会は、人びとの生を互いに支え合うことを重視するところです。心優しいフィリピン人が、いつまでもこうした虐殺の横行を許し続けるとは思えません。来年に入って大統領の支持率は少しずつ下がっていくと予想しています。

Photo: CSEAS

Photo: CSEAS

Photo: CSEAS

Photo: CSEAS

Photo: CSEAS

Photo: CSEAS

Photo: CSEAS

Photo: CSEAS

Photo: CSEAS

Photo: CSEAS

Photo: CSEAS

Photo: CSEAS

Photo: CSEAS

Photo: Toru Hiraiwa

Photo: Toru Hiraiwa

Photo: Toru Hiraiwa

Photo: Toru Hiraiwa

Photo: Toru Hiraiwa

Photo: Toru Hiraiwa

Photo: Toru Hiraiwa